僕のこれまでの人生についてお話しします。

このページにアクセスいただきありがとうございます。

僕がこのブログで伝えたいことの本質は何なのだろう、そして、それはどうやったら読者の方に伝わるだろう。
それを考えた結果、自分の人生でどんな出来事があって、その時々で自分が何を感じたのかを詳細にお伝えするのが一番だと考えました。

正直かなり恥ずかしいのですが、誰かの希望になればと思い、拙い文章ながら赤裸々に綴ります。

女子から「気持ち悪い」と言われた中学時代

学習塾の教室でサッカー部の陽キャ2人と戯れる僕。
1人に上半身を抱えられ、もう1人に全身をこちょこちょされ、悶絶。
身体はよじれ、気持ち悪い声が漏れる。

悶える僕のスリッパを盗って教室の外へ出ていく陽キャ。
教室でその様子を見ている数人の女子を尻目に、
陽キャを追いかけるように教室を出る僕・・・

だったが、教室を出たところで聞き耳を立てた。

女子「モリゾー君って、気持ち悪いよね。。。」

馬鹿にするというより、どこか残念そうな感じで話していたのが「あ、やっぱり普通の人が受ける印象ってこうなんやな・・・」と思えてとても堪えました。
そもそも僕が聞き耳を立てていたのも、自分の挙動が変な目で見られているんじゃないかと常々感じていたからですが、それでもショックは大きかった。

「陽キャは僕をイジったときの反応を見て楽しんでいるだけなんじゃないか?」という疑念も前からあったのですが、これが確信に変わった瞬間でもありました。

僕はこの経験によって、人から変な目で見られないよう目立たないようにしなきゃいけないという強迫観念と、女子に対する苦手意識を植え付けられました。

突然の苦い恋を味わった高校時代

高校に入学した僕は、新しい環境で、「嫌われないように」「馬鹿にされないように」を強く意識していました。
そのため、自分から人に話しかけることはほとんどできず、毎年クラスに馴染むまでに時間がかかりました。

それでも周りがいい人ばかりで環境に恵まれていたので、なんだかんだで次第にクラスに溶け込むことはできていました。

僕が高校生の頃はガラケー全盛期で、エムペや魔法のiらんどでブログ(当時は「日記」って呼んでました。懐かしすぎる)を個々人が作成し、仲の良いメンバーでリンクを集めてHPを作成するというのが流行っていました。

僕もあるグループで自分の日記を公開するなど、総じて高校生活は楽しい気持ちで過ごせました。

そんな高校生活の中でも人目はいつも気になっていましたし、「嫌われたくない」という意識が和らぐことはありませんでした。

中学時代に陰口を言われた経験からか、女子とのコミュニケーションは絶望的でした。

ちょっとした用事などで相手の方から話しかけられても、
「エッ、アー、ボク?・・・ンーw」
みたいな感じでどもりまくりでした(普段、男子と喋るときの一人称は「俺」)

今でもふと思い出しは「ウ、ウワーッ」てなることが多々あります(泣)

僕は高校生活の中で、自然と女子との1対1のコミュニケーションを避けるようになっていました。
そして、女子に対して恋愛感情が芽生える経験のないまま、高校3年生の夏を迎えます。

これが終わったらいよいよ本格的に受験勉強か~、と憂鬱な気分で、文化祭準備に取り組んでいました。

当時の僕のクラスは理系の物理選択だったため、男女比は6:1くらいでした。
クラス発表の出し物はクラスごとに3部門あり、僕の部門には女子が集まっていたため、まったく中心人物じゃない僕も女子と話す機会がありました。

さすがの僕も同じ女子と何度か話していると、挙動不審とは思われない程度の立ち居振舞いができるようにはなっていました。

文化祭後の週末、同じ部門のメンバーで打上げで焼肉屋に行くことになりました。
そのとき僕に割り当てられた席が男:女=3 : 3の6人掛けテーブルでした。

ここで僕に笑いの神が舞い降ります。

僕は女子をトーク力で楽しませるスキルは今も昔も微塵も持ち合わせていません。
しかし、このときばかりは隣の男子が上げてくれたトスに対応し、的確なアタックを連発。
僕の発言でテーブルに大爆笑が巻き起こりました。

そのとき僕は、普段はおとなしい1人のクラスメートの女子が、今までに見せたことがないような笑顔になった瞬間を見逃しませんでした。

「エッ・・・めっちゃ可愛いやんけ・・・」

普段あまり見せない笑顔に、僕は一瞬で惹かれていました。
その子は掴みどころがない独特の雰囲気があり、前から少し気になる存在ではあったのですが、その感情が「好き」に変わった瞬間でした。

結局、スポットライトを浴びていた僕は、序盤の勢いだけで、その後たいしたことを言わなくても思考停止でもう全部オモロイみたいになってテーブルを盛り上げ続けました。

後日、僕はその女子の日記にアクセスすると「文化祭の打上げ」的なタイトルの記事がアップされいていました。

そして本文を読むと、なんと、

「モリゾー君ってあんなに面白い人だったんだ!」
と、僕のことを書いていてくれていたのです。

guts pose

焼肉屋で幾度となく完璧なトスを上げてくれた友人に感謝しながら、僕の心は舞い上がっていました。

彼女の日記の存在は認識していましたが、1, 2回こっそり見たことがある程度でした。

僕は悩んだ末、「俺もめっちゃ楽しかった」的なコメントを残しました。

その後、彼女は僕のコメントに返信をしてくれました。
僕が自分の日記を見ているとは思っていなかったようですが、コメントしたことには喜んでくれました。

そのときの僕は嬉しい気持ち以上に「僕なんかがコメントして嫌な気分にさせたらどうしよう」と不安に思っていたので、ホッとしました。

僕は、彼女を好きな気持ちがより強くなっていました。

しかし、文化祭の打上げは夏休みの直前だったので、終業式を残して彼女と当分会う機会は当面無いという状況です。
終業式当日、彼女と話したいと思いつつ、何を話せばいいか、どう話し掛ければいいかわからず結局何もないまま夏休みに突入してしまいます。

周りが受験モードに気持ちを切り替える中、僕は彼女への想いが強くなるばかりでした。
僕は勉強などまったく手につかず、何度も何度も彼女の日記を読み返していました。

そして気づきます。

彼女の日記ページ下部に、鍵付きページへのリンクが。

以前からリンク自体はあったものですが、そのときはパスワードが不明だったし、何より自分には関係ないと気にしていませんでした。
しかし、彼女に好意を抱いている今は違います。

改めてそのリンクに飛んでみると、「パスワードは学籍番号」との記載が・・・
学籍番号はクラスと出席番号の組合せなので、出席番号がわからなくてもいくつか試せば解除できてしまいます。

僕の鼓動が高鳴ります。

「仮に最近になってわかりやすいパスワードに変えたのであれば、暗に僕に見てほしいということなのでは?」

いやそれとも

「彼氏や他に好きな人がいて、その人への想いでも綴られているのか?」

など悪い予感もありつつ、震える手でパスワードを入力しました。

そこには

「どうしよどうしよ」

「勉強に集中できひん」

「どうしておくべきやったんかな」

「モヤモヤする~」

といった投稿が。。。投稿日も終業式以降の日付です。

これは僕に対する想いを書いているに違いない、そう確信しました。

僕の彼女への想いが最高潮に達します。

「でも、どうすれば・・・」

彼女のメールアドレスも電話番号も知りませんし、まだ1か月以上ある夏休みが終わるまで彼女に会うこともありません。
彼女への想いに蓋をして勉強に集中することなど到底できる状態ではありません。

そして僕は、とんでもない過ちを犯してしまいます。

自分の気持ちをなんらかの形で表現しないといけないと思った僕は、あろうことか自分の日記(鍵無し)に、メンヘラ丸出し投稿を連投し始めたのです。

「こういう感じ、はじめてやなぁ・・・」

「俺って不器用やな」

「でも受験やし・・・どうしたらええんやろ」

などなど、今思い出しても顔を覆いたくなるようなキモクサっぷりです。

全然関係ない人が見ても、完全に「あ、コイツなんかあったんやなw(キンモー」てなるやつです。

僕の投稿を見た彼女の鍵付きページには、「そういうことならもういい」という旨の、悲しみと怒りが入り混じった投稿がありました。
(人生で一番ショックを受けた瞬間だったにもかかわらず、目を背けたい気持ちが強すぎたため文面の詳細をまったく覚えていません)

僕はここでようやく自分がやったことのキモさに気づいたのです。

結局その後、彼女と会話をすることはありませんでした。

今でも僕は当時のことをたまに思い出しては、あのときなんとかして想いを伝えるべきだったと後悔の念に駆られることがあります。
でも、あまりに未熟だった自分にはできないことだったのです。
記憶を消して当時に戻れたとしても、何度でも同じ過ちを繰り返してしまうでしょう。

――彼女に嫌われたとき、結局どうすればよかったのかと反省しました。

その当時の僕の結論は「高校3年にして、これまでまともに人を好きになったことすらないし、女性と交際するという発想自体なかったのだからこういう行動を取ってしまったのも仕方ない」というものでした。

後になって気付くことですが、これはひどい言い訳です。

当時、もちろん周りにカップルはいましたし、自分がそれをまったく羨ましく思っていなかったと言ったら嘘になります。
ただそうした気持ちに蓋をして、自分とは関係のない世界のことだと目を背けていました。

歪んだ自己が生み出した「恋愛に無関心の自分」というものを、彼女に対して取った行動を正当化する言い訳にしていたんですね。

もっとわかりやすく言うと、僕が彼女との恋を実らせるには、友達に恋人がいることを素直に羨ましいと受け止め、自分も恋人を作るためにはどうすればいいんだろうと、自分の欲求に正面から向き合っておく必要があったということです。

恋に破れた、いや、門前払いされた僕は勉強にはまったく身が入らず、高校卒業後は浪人生活に突入することになります。

浪人初期は彼女に対する踏ん切りがつかないままだったものの、なんとか勉強で気を紛らわし、1年の浪人生活を経て無事合格を手中に収めました。

心を完全に閉ざした大学生活がもたらした転機

もともと大学には何の希望も抱いていませんでした。

インターネットでは陰キャが散々「大学はクソ」と言っていたし、現役で大学合格した高校の同級生も口を揃えて「つまらない」と言っていたからです。

大学入学後、想像以上に劣悪な環境に僕は愕然とします。

「ウェイウェイワッショイ大学最高俺たちズッ友ウェイワッショイ
「ウェイウェイワッショイ大学最高俺たちズッ友ウェイワッショイ」
「ウェイウェイワッショイ大学最高俺たちズッ友ウェイワッショイ」

・・・・・・

キャンパスのあちこちから

「ウェイウェイワッショイ大学最高俺たちズッ友ウェイワッショイ」

が聞こえてくるのです。

仲間外れ

 

あ、これ無理やわ。

僕は、周囲のノリについていけず、大学にほとんど行かなくなります。

最初のうちは「こんなことをしていていいのだろうか?」と不安な気持ちに駆られ、なんだかんだで大学には行っていました。

しかし大学の講義と同級生のつまらなさにうんざりし、いよいよ周りに合わせるのも辛くなっていきました。
気づけば家でポケモン対戦とアニメ鑑賞に勤しむだけの日々を送るようになっていきました。

そして就職活動には目もくれず、大学院進学というモラトリアム延長カードを切ります。

修士1年目も研究室にまったく顔を出さないという状態でした。

もはやただのクズです。
当時の自分もはっきりそう自覚していました。

そして時間は早いもので、就職活動の時期を迎えます。
今回はもう逃げ道は用意されていません。
僕は重い腰を上げ、就職活動の情報収集のために、研究室に通い始めます。

とはいえ当時の僕は、もう人生どうでもいいやと本気で思っていました。
高校時代は、嫌われたくないという思いから周りの目を気にしてばかりいて、一方、大学では環境に馴染めず、他人にも合わせられずほぼ引き籠り状態になっていたわけです。

「高校は環境に恵まれていたからなんとかなったけど、自律的な行動が必要な大学以降は自分にとってハードモードすぎる。こんな奴が社会に出て通用するわけがない」
そんなふうに考えていました。

引き籠り続けた身体はだらしなく、対人スキルは皆無、大学で学んだこともこれから先やりたいことも無い、完全に社会にとって必要のない存在です。

「理系院卒で新卒ならどこかしらには就職できるだろう。親を一旦安心させるために適当に就職して、社会不適合者の烙印を押されたらとっとと辞めてその辺で野垂れ死ねばいいや」と割り切っていました。

推薦枠を使って面接を受けて、「コミュニケーションに難あり」という評価を下されて不採用となったときは、さすがに多少ダメージを受けましたが、まぁ引き籠りの末路なんてこんなもんだとすぐに開き直っていました。

結果的には、他に余っていた推薦枠を使って辛くも内定を獲得するのですが、後になって振り返ると、他人と比較して引き籠りの自分を悲観したりせずに吹っ切れていたおかげで、社会人になるのを転機に、人生が徐々に上向いていったのだと思います。

就活解禁の時期に研究室に顔を出すようになったとき、同級生たちが就活に対してものすごい不安を抱いているのが伝わってきました。
(ちなみに研究室の同級生は陽キャばっかりでした)

他の友達がどこにエントリーしたのか、何社くらいエントリーしたのか、SPIの勉強はどれくらいやったのか・・・

そんな些細なことを互いに気にして合っている同級生たちを見て、

「こいつら、人間ちっさ(笑)」

と思ったのです。

周りの顔色を伺って振る舞うことに疑問を持たず、常に無難な選択をしてきた彼らが、僕が引き籠っている傍ら、大学に毎日通って学んだことなど高が知れている。
頑張って「型」から外れないように生きてきた自我の無い人間が、いざ就職活動を迎え、自分のやりたいこともなく、新たな「型」を探すことに必死になっている――

眼前で繰り広げられるクソおもんな大学生たちの茶番劇が、とても滑稽に見えました。

僕は引き籠り期間を経て同級生と接したことで、新たな視座を得たのです。

つまり、周りに合わせられない自分を駄目だと思い込むのではなく、周りに合わせることは正しいのか?と考えるようになったのです。

急に同級生たちがめちゃくちゃ気持ち悪い奴らに見え始め、コイツらとは一生関わりたくないとさえ思いました。

とりあえず関西を離れて、学生時代の知り合いと会う心配のない土地で人生をリスタートさせよう、僕はそう考えたのでした。

そして、正面切って就職活動に挑んでも勝ち目がないことは理解していたので、教授のコネや専攻の推薦枠などあらゆる手段を模索し、なんとか首都圏での内定を獲得しました。

それからの僕は、修士論文に真面目に取り組み、情けない身体を引き締めるべく運動を始め、規則正しい生活を心掛けるようになりました。

人生に希望を見出していたというわけではありません。

いま思えば「あのつまらない同級生たちがやってなさそうなことを自分の意志でやってみよう」、
そんなひねくれた動機が、まともな人間への第一歩を踏み出させてくれたような気がしています。

社会人になっても楽しいことが待っているわけではないことも、それどころか仕事の成果や人間関係の構築が求められる厳しい環境が待っていることも覚悟していました。
一方で、あの同級生たちでも社会人として難なくやっていくんだろうから、自分でもなんとかなるんじゃないかという思いもありました。

僕は協調性がまったくありません。

行きたくもない飲み会に嫌々参加したり、嫌いな人を立てたりするのが大の苦手です。
それをやったとしても、本心が顔にモロに出てしまいますし、相手の気分を害さずに断る立ち回りもできません。

社会人として生きていくには、絶対に協調的でなくてはならないと思い込んでいました。

一方で、大学の同級生たちが見せる「協調性」はあくまで自分の身を守るためで、自身の成長を阻害するものでしかないとも感じていました。

小さいコミュニティで傷を舐め合うために、そうした「協調性」が役に立つことが社会人になってもあるかもしれない。
けれど、自分は絶対にそんな人間にはなりたくない。

そうした考えを経て、新社会人として、他人に合わせず自分らしく飄々と生きていこうと心に誓いました。

こうして僕の6年間の大学生活は、恋愛においても何においても唯一つの思い出もないまま終えることとなりましたが、最後に確かな気付きを得たのでした。

社会人デビューから婚活を始めるまで

知り合いのいない新天地に降り立ったときの解放感は凄まじく、万能感に満ちていました。

新生活が始まった4月にいきなり、1人で街コンに参加申込みをします。

今までの僕だったらまず考えられない行動ですが、新しい土地で、自分が自分じゃないような感覚がありました。
周りに知り合いがいる環境だったら、知り合いに見つかったときのことを想像してしまい、なかなか動けなかったんじゃないかと思います。

街コンを知らない人のために簡単に説明しておくと、着席形式の街コンは、男女2対2で各組10~15分間程度の時間が設けられ、席替えをしながら5~6組と交流するという感じです。

街コンに1人参加すると、同性の1人参加同士でペアを組まされます。

僕は相方の彼に担いでもらい、自分から喋ることはほとんどできないながらもなんとかやり過ごしました。
そして相方のおかげでタダ乗りで女性たちと連絡先も交換します。

傍から見たら「コイツ全然喋らんけど、何しに街コン来たん?w」というレベルでしたが、恋愛経験のない自分にとっては小さくも確かな一歩でした。

街コン後、少しでも女性とコミュニケーションする機会を増やそうと、会話した内容をおぼろげながら記憶している数人の女性にLINEを送りました。

すると、返事があった3~4人のうちの1人の女性と、いい感じでメッセージが続きました。
これはチャンス!と最初のうちはいい加減だったLINEも、1通1通に神経を擦り減らしながらやり取りをするようになります。
なかなか文章がまとまらず、仕事終わりに推敲に推敲を重ねてやっとの思いで送信という重労働で、1日に1通がやっとでした。

メッセージを1週間程度続けると、ちょうどゴールデンウィーク前だったので予定を尋ね、なんとか食事デートの約束まで漕ぎ着けました。

そしてデート当日。
街コン以来の再会です。

街コンでは何組目に会ったかくらいの記憶しかなく、顔もほとんど記憶に残っていなかったですが、改めて会うと年下ながらも大人びていて、それでいて明るいという印象でした。

デートでの会話の割合は僕と彼女で1:9くらいでしたが、楽しげに話してくれるので、話し下手の僕も緊張はほとんどせず、デート自体をとても楽しめました。

そしてその調子でデートを重ね、告白してOKをもらうことに成功します。

念願の人生初彼女でしたが、意外とすんなり事が進んだので「こんなもんなのか」という感覚でした。
彼女ができたという事実よりも、新しい土地に移り住んで即行動したことをちょっぴり誇らしく思いました。

もちろん結果が伴ったからこそではありますが、「彼女がほしい」という素直な気持ちで行動し、小手先の恋愛テクニックに走らず等身大の自分で振舞えたことは自信になりました。

仕事でも、人の意見をしっかり聞きつつ、自分のポジションを明確にして意見を言うようにしました。
恥をかくこともありましたが、そうした姿勢が着実に自分を成長させ、信頼を積み重ねてきたと感じています。

このように、それまでの人生と比べると、僕の社会人生活は公私共に充実していました。

そして、「自分らしさ」をアップデートするために、様々な価値観に触れるようにしました。
そうして自分の将来のことを考え始めたとき、生涯を共にできるパートナーのイメージがだんだんと見えてきました。

その後、僕は彼女と別れ、マッチングアプリを始めることになります。

僕が伝えたいこと

僕が自分の人生を振り返ったうえでお伝えしたいこと。

恋愛は人生のごく一部の要素に過ぎないのに、恋愛のせいで自分に自信を持てない人はとても多いのです。
僕も中学生の頃に女子に対する苦手意識を植え付けられて以降、大人になるまでその状態に陥っていました。

逆に、自分に自信を持つことができれば、恋愛にも自信を持って臨めます。
恋愛がうまくいけば人生がうまくいくのではありません。

自分を磨いていけば、その過程で、恋愛はおのずとうまくいくです。

とはいえ、いま人生で一番の悩みが恋愛にあるんだったら、仕事や他のことの優先度を下げてでも恋愛と向き合うべきだと思いますし、それが自分を磨く一番の近道です。

だからこそ皆さんには、恋愛の経験を積むことによって、自分に自信をつけてほしいと思っています。

それがこのブログで僕が伝えていきたいと思っていることです。